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正信偈の解説と現代語訳

正信偈の意味【覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪】全文現代語訳

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現代語訳

仏がたの浄土の成り立ちやその国土や人間や神々の善し悪しをご覧になって。

この度は、正信偈「覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪」について意味を分かりやすく解説します。

語句説明

覩見とけん・・・「覩」とは、よく見る。目をとどめてはっきり見ること。ふみこんで見る、細かに観察すること。ここでは、ありとあらゆる国土・人間のあらゆる苦しみや悩み、罪業ざいごうなどすべてを見通すこと。

諸仏浄土・・・『仏説無量寿経』には、世自在王仏が210億の諸仏の人天の善悪とそれぞれの国土のありさまを説いたとお経には説かれている。210億という数字は、人間の想像を絶した計り知れないことを表している。つまり、仏様は私たちのありとあらゆる苦しみ、悩みを理解して、その私を救いたいと願っている。

仏教の善悪の基準ってなに?
阿弥陀様のお心に叶っているかどうかだよ
それじゃ答えはバラバラだから日本の法律じゃ計れないね

正信偈の原文

覩見諸仏浄土因
とけんしょぶつじょうどいん
国土人天之善悪
こくどにんでんしぜんまく

正信偈の書き下し文と現代語訳

【書き下し文】諸仏の浄土の因や国土人天の善悪を覩見とけんして

【現代語訳】仏がたの浄土の成り立ちやその国土や人間や神々の善し悪しをご覧になって

正信偈の分かりやすい解説

成り立ち

法蔵菩薩が、諸仏の浄土の成り立ちやさまざまな浄土の様子の違い、それぞれの浄土に生きる人びとの善し悪しの違いをご覧になられた、ということが示されています。

『仏説無量寿経』の中で法蔵菩薩は世自在王仏に出会われて、自らも仏に成ってすべての人を救いたいという大きな願いをおこされました。もともと菩薩となられる前は一人の国王でした。そこで世自在王仏の説法せっぽうを聞いて深く喜び、そこでこの上ないさとりを求める心を起し、国も王位も捨て、出家して修行者となり、法蔵と名乗られました。法蔵菩薩は世自在王仏に教えを請い求め、『仏説無量寿経』の中で、

仏説無量寿経

わたし(法蔵菩薩)はこの上ないさとりを求める心を起しました。どうか(世自在王仏さま)、わたしのためにひろく教えをお説きください。わたしはそれにしたがって修行し、仏がたの国のすぐれたところをえらび取り、この上なくうるわしい国土を清らかに整えたいのです。どうぞわたくしに、この世で速やかにさとりを開かせ、人々の迷いと苦しみのもとを除かせてください

と世自在王仏にお願いをされます。世自在王仏はこの願いを聞き、法蔵菩薩に210億の諸仏の浄土のありさまと、それらの浄土に生きる人びとの様子をお示しになりました。そのすべてをご覧になって、すぐれた所を選び取ったということは、良し悪しや劣ったところを選び捨てた上で最高の世界を作ろうと考えられたのです。

210億の世界をご覧になられて、すぐれた所を選び取るだけでは足りない事がありました。それは、どの世界も必ず救済からこぼれ落ちるという事が共通していました。この「国土人天の善悪」をご覧になられた時に、様々な浄土もご覧になられていますが、浄土のみならず、この世界もご覧になられたことでしょう。

教行信証

一切の群生海ぐんじょうかい無始むしよりこのかた乃至ないし今日こんにち今時こんじに至るまで、穢悪えあく汚染わぜんにして清浄しょうじょうしんなし、虚仮こけ諂偽てんぎにして真実の心なし。ここをもつて如来、一切苦悩の衆生海しゅじょうかい悲憫ひびんして

とあるように、この世界の苦悩までもご覧になられたと親鸞聖人はお示しくださってあります。たとえどんな素晴らしい浄土を建立こんりゅうしようとも、誰も参ることが出来ない世界ならば、存在価値はありません。この世界の苦しみ悩む私たちを、かならず救済することを目的として作られた世界を極楽浄土というのです。

浄土とは

浄土とは、「清浄しょうじょう仏国土ぶっこくど」の略であり、清浄(きよらか)な国土ということです。自己中心という愚かでけがれた思いが一切ない世界です。それとは反対に、この世の中は自己中心的な世の中で、不公平な世界であるということです。

「諸仏」という言葉がありますが、この世に実在し悟りを開かれた人といえば、2500年前にインドにお出ましになられたお釈迦様お一人です。しかし、お釈迦様がお悟りになられた「内容」は、自分お一人のものではありません。

「悟り」という以上、時間と空間を越えて、いつでも、どこでも、「普遍の救済」に変わりはありません。「救済」をこの世の中に広めるために、お釈迦様というお姿になって現われ、教えを広められたとも言えます。私たちにはこの世に実在し悟りを開かれた仏様はお釈迦様だけですが、時間的空間的無限で考えたら、私達に認識できないだけで多くの仏様がいらっしゃいます。

私たちは、『仏説無量寿経』に説かれている釈尊しゃくそんの教え(仏説:お釈迦様が説かれた、無量寿:無量寿仏つまり阿弥陀様について説かれたお経)を通して、世自在王仏や阿弥陀仏のことを知らせていただいているわけです。

仏説無量寿経とは

仏説・・・お釈迦様が説かれた
無量寿・・阿弥陀仏について説かれた
・・・・教え

殊勝の願い

そのお経のなかに、世自在王仏が阿弥陀仏に成られる前の法蔵菩薩に対して、無数におられる仏のうち210億の仏の浄土の成り立ちと、それらの浄土のありさまとを紹介しご覧になられました。

法蔵菩薩は、世自在王仏がお示しになった多くの仏の浄土と、それらの浄土に生きる人びとのことについて、みなことごとく覩見とけんされました。「覩見」とは、「覩」は「しっかり見る」ということで、はっきりとご覧になられたという事です。

そしてその上で、法蔵菩薩は他の仏様の考えられた浄土とは根本的に違った浄土を実現したいという、この上にない、ことに勝れた願いおこされました。殊のほか勝れた願い(殊勝の願)とは、教えに背を向けている凡夫、つまり苦しみ悩む人々を救済し、生まれていける浄土を実現したいという願いでした。法蔵菩薩はすべての人を救済して仏に成ると誓われた中で、もしその願いを成就させることができないのであれば、自分は仏には成らない誓われました。

これは一体どういう意味なのでしょうか。

それは、すべての苦しみ悩む人々の責任を一挙に背負ったということです。すべての人が極楽浄土に生まれることができないならば、私は悟りを放棄します。仏にはなりませんと、すべての人を自分の背中に背負って、仏になる覚悟を持たれたのでした。

正信偈の出拠【参考文】

『大経』ここにおいて世自在王仏、すなはちために広く二百一十億の諸仏の刹土の天・人の善悪、国土の粗妙を説きて、その心願に応じてことごとく現じてこれを与へたまふ。時にかの比丘、仏の所説を聞きて、厳浄の国土みなことごとく覩見して無上殊勝の願を超発せり。その心寂静にして志、所着なし。一切の世間によく及ぶものなけん。

『選択集』すなはち二百一十億の仏の国土中の諸天・人民の善悪、国土の好醜を選択す。〔法蔵比丘の、〕心中の所欲の願を選択せんがためなり。楼夷亘羅仏[ここには世自在王仏といふ。]経を説きをはりて、曇摩迦[ここには法蔵といふ。]すなはちその心を一にして、すなはち天眼を得、徹視してことごとくみづから二百一十億の諸仏の国土のなかの諸天・人民の善悪、国土の好醜を見、すなはち心中の所願を選択して、すなはちこの二十四の願経を結得す」

『選択集』第一に無三悪趣の願は、覩見するところの二百一十億の土のなかにおいて、あるいは三悪趣ある国土あり。あるいは三悪趣なき国土あり。すなはちその三悪趣ある粗悪の国土を選捨して、その三悪趣なき善妙の国土を選取す。ゆゑに選択といふ。第二に不更悪趣の願は、かの諸仏の土のなかにおいて、あるいはたとひ国のなかに三悪道なしといへども、その国の人天寿終りて後に、その国より去りてまた三悪趣に更る土あり。あるいは悪道に更らざる土あり。すなはちその悪道に更る粗悪の国土を選捨して、その悪道に更らざる善妙の国土を選取す。ゆゑに選択といふ。第三に悉皆金色の願は、かの諸仏の土のなかにおいて、あるいは一土のなかに黄・白二類の人天ある国土あり。あるいはもつぱら黄金色の国土あり。すなはち黄・白二類の粗悪の国土を選捨して、黄金一色の善妙の国土を選取す。ゆゑに選択といふ。第四に無有好醜の願は、かの諸仏の土のなかにおいて、あるいは人天の形色好醜不同の国土あり。あるいは形色一類にして好醜あることなき国土あり。すなはち好醜不同の粗悪の国土を選捨して、好醜あることなき善妙の国土を選取す。ゆゑに選択といふ。乃至、第十八の念仏往生の願は、かの諸仏の土のなかにおいて、あるいは布施をもつて往生の行となす土あり。あるいは持戒をもつて往生の行となす土あり。あるいは忍辱をもつて往生の行となす土あり。あるいは精進をもつて往生の行となす土あり。あるいは禅定をもつて往生の行となす土あり。あるいは般若[第一義を信ずる等これなり。]をもつて往生の行となす土あり。あるいは菩提心をもつて往生の行となす土あり。あるいは六念をもつて往生の行となす土あり。あるいは持経をもつて往生の行となす土あり。あるいは持呪をもつて往生の行となす土あり。あるいは起立塔像、飯食沙門および孝養父母、奉事師長等の種々の行をもつておのおの往生の行となす国土等あり。あるいはもつぱらその国の仏の名を称して往生の行となす土あり。かくのごとく一行をもつて一仏の土に配することは、これしばらく一往の義なり。再往これを論ぜば、その義不定なり。あるいは一仏の土のなかに、多行をもつて往生の行となす土あり。あるいは多仏の土のなかに、一行をもつて通じて往生の行となす土あり。かくのごとく往生の行、種々不同なり。つぶさに述ぶべからず。すなはちいま前の布施・持戒、乃至孝養父母等の諸行を選捨して、専称仏号を選取す。ゆゑに選択といふ。

『浄土和讃』(56)南無不可思議光仏 饒王仏のみもとにて
十方浄土のなかよりぞ 本願選択摂取する

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